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Moonrise Kingdom(邦題:ムーンライズ・キングダム)



ウェス・アンダーソン監督の新作、『ムーンライズ・キングダム』を観てきました。
公式HPは → → → コチラ



もう野蛮ではない私たちは

純粋無垢であるというのは大変というより、生きにくい生き方である。子供が純粋無垢なのは、その生きにくい生き方を変える術を知らないほど愚かなだけだ(だから、彼らは大抵いつも、もがいている)。逆に言えば、大半の大人が純粋無垢ではないのでは、やりにくい方法にわざわざいつまでも固執する必要はないと賢くも悟るからだ。その賢さを狡いと勘違いしたくなり、ときどきセンチメンタルに「汚れてしまった」なんて感傷的になってみせる。でも本当は、いま居る環境とはどうしても相容れないと崖っぷちで悩んだり、盲目的に恋を信じて向こう見ずになってみたり、簡単に強くなって、その倍簡単に傷つくなんて、まるで生きにくい生き方で懲り懲りだと知っている。

でも世の中には、いつまで経っても純粋無垢を苦行とも思わない能力を持つ、ウェス・アンダーソンのような人たちがいる。彼らの紡ぎ出す世界では、普通の世界が少しだけ変で、可笑しい。もちろん、今回ウェスが創り出した小さな世界も、然りだ(何しろ、雷に直撃されても黒こげになるだけで、数秒後にはピンピンしていられる世界なのだ!)。まるで、江國香織が子供を「野蛮」だと怖れるように、恐ろしく自由で、勇敢で、野蛮である。この話は、小さな島に住む、共に生きにくさを感じる少年と少女の話だ。ふたりは駆け落ちをして(当然の如く)大人たちに捕まえられるが、懲りずに(今度はボーイスカウトの仲間たちの助けを借りて)ふたたび逃避行を試み、ついには簡易結婚式を挙げて夫婦になる。これらの顛末は、モーレツな嵐が来る数日前のことで、この嵐の到来と共にドラマも山場を迎え、文字通り「雨降って、地固まる」。

この映画を観ていると、子供は弱く繊細などではなく、むしろ勇敢で野蛮そのもので、それは生きにくい生き方を強いられるから当然の成り行きであると納得する。勇敢でたくましくないと、彼らは生きて行かれないのだ。そして、生きにくい生き方しか知らない子供がもがく姿を描く作品は数あれど、勇敢な子供が野蛮に生きていく姿を描ける人は少ない。それは、描く自分自身も勇敢で野蛮でなければ、"ホンモノの野蛮さ"は描けないからなのだろう。ウェス・アンダーソンは、間違いなくそういう野蛮で愉しい人だ。もう賢くも臆病な大人になってしまった大半の私たちは、だから、ウェスの創り出すおとぎ話のような映画を観て、かつて勇敢で野蛮だった昔の自分を懐かしく眺めてほほえむのだ。

| 映画レビュー | 23:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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