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Life of Pie (邦題:ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日)



今年のアカデミー賞監督賞受賞作、『ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日』を観てきました。
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神と出会う旅路

トレーラーと親切な日本の副題で、話の筋はお分かりになるだろう。少年がトラと漂流する、まさにその通りの話である。その冒険譚を、生き延びて大人になったパイが、自分の元に訪れた小説家に回想しながら語るという形式をとる。映画全体を通して感じるのは、(未読だが)原作が素晴らしいのだろうなということだ。こういうしっかりした物語が基にあると、アン・リーの創り出す美しく幻想的なシーンが俄然映えてくる。特に本作のオープニング・クレジットはとても愉しく、チャーミングで素晴らしい導入となっている。もちろん、緻密に計算された美意識の結晶のようなシーンも健在である。鏡のような水面の上に浮かぶ一艘の船を真上からの俯瞰したシーンなどは、実にアン・リーらしい。いまのところ私には子どもは居ないけれど、たまに「これは子どもに観せておくべきだ」と強く感じる映画がある。本作も、そのひとつだ。端正で美しく映像、さまざまに受け取れる含蓄ある物語、そこから得られる教え:3拍子揃っており、自信を持ってお勧めできる。端正で美しい映像は、子どもの経験不足で小さな眼でもすぐに判るだろう。含蓄ある物語は、観た年代によって変化し続ける、他ならぬあなただけのものだ。だから、今日は私が感じた教えを少しだけ綴ることにしよう。

いまはどうなのか知らないが、少年だった私が80年代に暫し過ごした米国南部では、土曜日の朝にはほとんどの人が地元の教会に祈りを捧げに行っていた。日本人の私も土曜日は疑いもなく教会へ通い、同じような年代の子たちとキリストの人生や教えついて学び、毎週聖書の一節を暗記してくる宿題を出された。自分だけの聖書をもらったときは、本当に嬉しく誇らしかった記憶がある(いまでもその聖書は手許にある)。夏に参加した教会主催のキャンプでは、切望していた洗礼を受けた。全身を預け流れる川に浸された後、ずぶ濡れになりながら教会に駆けて戻り屋内に入ったとき、十字架の前に強くて暖かい光が差していた。もう何を祈ったのか忘れてしまったけれど、その瞬間「これが神の啓示なのだ」と感じて涙を流したことは、いまでもはっきり覚えている。宗教を持つ人と、持たない人たち。信仰の問題はとてもデリケートだから、どうのこうの論じることはできない。ただ、私が思うのは、宗教を持つ人たちにとって神と信仰は、日常的で切り離せないものであり、信仰を続けるなかで必ず誰しもが"神との邂逅"を経験して涙を流しているはずなのだ。

パイが幼年期に3つの宗教を同時に信仰しようとしていたエピソード、彼の父親が宗教に懐疑的であるという設定、自らの知恵と力で生き延びる道を切り開きながらも、大嵐の中で神に対し怒りをぶちまけ、最後には神が見守っていてくれたのだと知る旅路の過程。これらは偶然の設定ではなく、この物語は漂流記という冒険譚の形式をとりながら、パイが神と邂逅するまでを描いた作品でもあると思うのだ。同乗していた虎が神の化身だとは言わない。パイが救出された後に原因究明のためにやって来て「現実的なもうひとつの話」を催促する調査団が日本人であるという設定は皮肉だろうか、と思うのも止めておくことにしよう。一匹の虎と過ごした227日のなかで、パイは神に感謝し、時に問い掛け、見捨てらたと怒り、それでも進み、最後は神と一瞬だけ触れ合う。あれから何十年と生きてきたけれど、私はあのとき教会で見たあたたかい光、こみ上げてくる不思議と抑えきれない感情や涙とは再び巡り会っていない。あるいは、それは真摯に神と対話しているとき人生に一度だけ訪れる出来事なのかもしれない。パイに訪れた、たった一度の邂逅を描いているからこそ、この映画で描かれる世界も、少年も美しい。その美しさや作品の余韻は、小説で言うならば、遠藤周作『沈黙』と似ていると思うのだ。

| 映画レビュー | 23:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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