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言の葉の庭



新海誠監督の最新作、『言の葉の庭』を観てきました。
公式HPは → → → コチラ


鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

新海誠監督については名前を何となく知っていたというのみで、本作を観に行ったのは「劇場で秦くんの歌声を聴きたかった」ためだ。トレーラーで聴いた大江千里氏の往年の名曲『Rain』のカバーが実に素晴らしかったのだ。同時に、オリジナル曲ではなくカバーさせるために秦くんを選んだ監督のセンス、そしてその人の作品にも興味を持った。靴職人を目指す15歳の高校生と出社拒否となってしまった27歳の女性が雨の日に初めて出会い、雨の日の出会いを重ねていくうちに、お互いにほのかに惹かれ合っていくという話である。46分という短い上映時間、実写と見間違えるほど精緻で、実写を超える美しい短編アニメーション。


本作は、優れた短編小説がそうである様に、「短さ」の意味を理解して最大限活かしている。恋には出会いから思いを伝えるまでのプロセスと、それ以降のプロセスに大きく分けられるが、本作は40分間程度で告白までのプロセスを描き、残りの6分でその後のエピソードを描く。限られた枠内であるのに一見無意味と思える箇所にやたら頁や時間を割く(しかし、最後まで鑑賞すると作者の意図が急に理解できたりする)のも、同じだ。新宿駅や新宿御苑の描写は、アニメーションにする意味が分からなくなるほど緻密である。あの雨の日の朝の通勤時間の描写ー湿っぽくて陰鬱なのに決して誰も立ち止まったり逃げ出したりせず乱れない空気−は、いまの季節まさに私たちが経験しているリアリティそのものである。そのくせ、若造とアラサー女性の恋はまるで安いドラマか少女漫画のようなスレ違いや心が伝えられないもどかしさで溢れていて、説明や描くエピソードはバッサリ取捨選択されている。受け手の知りたい権利なんて、まるで無視なのである。いつ終わりにするかについても、然り。突然幕引きされて「えぇ!それで終わりかい」となったのに、なぜか余韻が消えない。そして、その余韻を彩る音楽として、秦くんの音楽はやはり最適であった。誰が何と言おうと、秦くんの歌声でなければならなかったと思う。

ここまで写実的なら実写でやればよいだろうという意見には、私なら「現実の人間というのは、時として生々しすぎるものなのだ」と切り返すだろう。アニメーションにするからこそ、15歳と27歳の淡い「孤悲」(本作のキャッチコピーで使われている造語)が見られるのだと、2Dの中の人にしか恋できない人の気持ちが少々解る。逆に、アニメという世界はフェイクで脆弱だから、現実を超えて丁寧に描かれていないと即座に虚構だとバレてしまう。本作は、その両方を手に入れているから、美しさだけが残る。

良質の短編小説が与える余韻というものは、「残る」のではなく、消したくても「消えない」ものだ。だからこそ、その度に発見がなかったとしても、薄れても完全に消えはしない余韻を何度でも反芻して補強したくなるのだ。これは映画にも当てはまることで、本作はその予感がしている。劇場を出たときには「期待以上だった」程度にしか思っていなかったが、今ではブルーレイを買うしかないだろうなと観念している。梅雨の休日、突然無性に観たくなったとき手許にないと本当に困るからだ。

もうひとつ、私もずいぶん大人になったから言うが、本作は20代やそこらのガキなんかに見せるには実に勿体無い映画である(ちなみに、新海監督は40歳)。刺さった人には永遠に取れない棘になりそうなので、注意が必要である。

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