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MAN OF STEEL(邦題:マン・オブ・スティール)



スーパーマンの最新リブート作、『マン・オブ・スティール』を観てきました。
公式HPは → → → コチラ


ミクロ的視点を欠いたヒーロー

スーパーマンと言えば、1978年に公開され以後シリーズ化したクリストファー・リーヴ主演版を誰もが思い出すだろう。本作はそのリブート(「仕切り直し」)版で、要するに鉄板コンテンツを現在の映像技術や現代のセンスで焼き直して儲けようという魂胆である。栄えあるリブート版の監督に抜擢されたのは、『300(スリーハンドレッド)』で一躍名を広めたザック・スナイダー、製作・原案にはクリストファー・ノーランが名を連ねている。監督の名前が発表されたとき一抹の不安を覚えたが、クリストファー・ノーランが付いていて「ああいう風」にはならないだろうと信じて観に行った。

「ああいう風」というのは、こういうことで、私はこのトレーラーを観たとき「久々に破壊系監督が登場した」と恐れたものである(無論、未見)。ハリウッドには「破壊映像=スペクタクル」と信じる監督が時折登場して、何もかもをこれでもかと云わんばかりに破壊する。1990年代から燦然と輝く破壊系監督の雄がローランド・エメリッヒで、今年も『ホワイトハウス・ダウン』で再びホワイトハウスをメチャクチャにしている。破壊系監督の作品の特徴は、壊し過ぎという印象しか残らない、というものだ。

本作も残念ながらそうであった。リブート版らしく、クラーク・ケントがクリプトン星で生まれ、地球に送り出されるところから始まり、恋人になるロイスとの出会い、敵役との闘い末に地球を守り、彼女が務めているデイリー・プラネット新聞社に入社するまでを描くという、一応の筋はある。幼少期から青年期のエピソードをフラッシュバックさせながら、特殊能力を持つがゆえの苦悩を描こうともしている。スーパーマンの飛び方、破壊力等は、かなり現実的に描かれており、最初のうちはその斬新な映像に目を奪われた。しかし、そういう斬新さというのは直ぐに見慣れてしまい、果てには飽きてしまうものだ。中盤以降は戦闘シーンの連続なのだが、あまりに執拗に繰り返される破壊シーンに気分が悪くなってしまった。

フィクションと現実を重ね合わせるなど馬鹿らしいと思うが、私は何だかとても腹立たしい気持ちになってしまった。劇中では、希望を語るシーンが多いのだが、この映画には「破壊された次の日」という視点が一切欠けている。パチンと指を鳴らせば、元通りになるとでも思っているかのように。今回のリブート版で、スーパーマンはマクロ的には地球を侵略の危機から救ったとしても、ミクロ的視点を欠いたヒーローになってしまったことが非常に残念であった。

| 映画レビュー | 23:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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