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かぐや姫の物語



高畑勲監督の渾身の作品、『かぐや姫の物語』を観てきました。
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繊細さと野性の証明

本ブログは2008年に開設したが、最初の何年かは1年ごとに映画レビュー以外の記事をすべて削除していた。つまり、映画レビューのみがブログ開設以来累積している記事で、それが実はひっそり今回で100作目なのであった。このことにはしばし前に気付いており、何となく、たとえばSPEC映画版がレビュー100作目を飾るのは嫌だなと思っていたりもして、それで随分と映画を観ていなかったということもある。さて、そのレビュー100作目に選んだのが、御歳78歳の高畑勲監督の渾身の一作である。

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異国風な世界を舞台とした映画の印象が強い宮崎監督に対し、高畑勲監督は一貫して日本と日本人を丁寧に描いてきた人である。戦時中の日本人をシリアスに、アラサー女性の内面を繊細に、都市開発が押し寄せる日本の世相をコミカルに、平凡な日本の家庭をマッタリと。そう考えれば、この監督が日本最古の物語をアニメ化したのは極自然なことだったのかもしれない。

本作は、日本人なら誰でも知っている『竹取物語』をアニメ化した作品である。「姫の犯した罪と罰」という目を引くキャッチコピーであったり、トレーラーでかぐや姫が鬼の形相をしながら脱兎の如く走っていたので、もしや翁と媼を殺めてしまうのか!?など、ネタバレしてはいけないような大胆な解釈が盛り込まれているのかと思いきや、私たちのよく知っているかぐや姫の物語であった。端折られたシーンや原作にはない登場人物も出てくるか、その膨らませ方は私の印象では"極わずか"であり、この辺はさすが生真面目な高畑監督という気がする。画はどのシーンを切り取っても淡く美しい水彩画のようで、そのひとつひとつの画をよくこうも滑らかに動かせるものだと感服させられる。この高畑監督独特の手法は前作(『ホーホケキョとなりの山田くん』)で初披露されたものだが、本作でようやくピタリと合致する物語と世界観を得て、花開いたという印象だ。

日本人特有と言われる美意識ーそれは四季や陰翳を繊細に感じ取る感覚とも言われるかもしれないーを、本作ほど分かりやすく、きちんと伝えている作品を私は知らない。日本人ですら、その美意識を揺り動かされていると感じるはずだ。だから本作を観た後に改めて『風立ちぬ』を振り返ってみると、何と自己主張が強く繊細さに欠けた作品だと思ってしまう。絵だって、まるで塗り絵と揶揄されるデジタル写真のようだ。しかし、だからと言って本作が『風立ちぬ』のような大ヒットをするとは到底思えない。作品が正統に評価されないと嘆いたり憤慨するのも違っていると思う。

クオリティが高いことは人気者になる必要条件ではあるが(現在の日本のエンターテインメント界では必ずしもそうとは言えないかもしれないが)、十分条件ではない。そのことが、痛いほどに分かってしまう作品である。一方で、日本人の手による、これ以上の日本らしいアニメは今後出て来ないのではないかとも思う。「日本人特有の感性」という概念は現在の日本/日本人で漠然と共有されているが、いま生きているリアルな私たち日本人は、ほとんどその感覚を伝え聞いたか、学んだかしてきているからだ。4月の桜や10月の紅葉で僅かに発露する程度のものでは、高畑監督の極めて繊細だか野性的でもある感性には、とても太刀打ちできるレベルではない。

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