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偉大なる、しゅららぼん



万城目学氏の同名小説を映像化した、『偉大なる、しゅららぼん』を観てきました。
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法螺話に分かり易さなど要らない

今回も、小説を予め読んでの鑑賞である。原作者である万城目学氏についてウィキペディアで調べると「ファンタジー小説で知られ」との説明がある通り、この人はデビュー作から現実的な世界のなかに(氏の小説には実在の団体やモノが実名でよく出てくる)突拍子のない空想を巧みに溶け込ませ、"現実的な非現実"という独特な世界を創り出してきた。その"世界の造形力"こそが万城目氏のユニークな能力であり、人気の根源でもあると思う。それを踏まえると、私は今回の原作となった小説は、やや駄作であると思っている。ファンタジーを創り出すことを得意とする人が、超能力に手を出してしまうのは禁じ手であろう。

本作は、琵琶湖周辺に住む日出(ひので)家と棗(なつめ)家を巡る話である。日出家と棗家は「湖の民」として琵琶湖よりそれぞれ超能力のようなものを授かり、数百年に及ぶ対立をしている。赤い制服を着ている中央の小太りが日出本家の御曹司、右隣りの同じ赤制服が分家から「力」の修行のために本家に来た物語の主人公、左の黒制服が棗家の御曹司である。両家の対立を軸に話を引っ張っていくのだが、途中から両家共通の敵が現われ、その敵がもたらす両家存続の危機に3人がどう立ち向かうかというような話である。相変わらず、万城目氏らしい見事な大法螺話だ。意味不明と思われるタイトルの擬音語「しゅららぼん」にさえきちんとした意味付けをして、大きな風呂敷を広げっぱなしにして尻つぼみに終わるなんてことはしない。それでも、小鬼を使って試合をする大学のサークルがあるとか、鹿の使いが人間に無理難題を言ってくるとか、大阪国を密かに守り続ける大阪人たちなどと比べると、法螺のインパクトが弱いと感じてしまうのである。肝心の超能力の件になると、万城目氏の筆や言葉が急に鈍るように感じるのは決して気のせいではないと思う。

そういう、私からすればこれまでの万城目作品のなかで最もインパクトの弱い小説を原作にしているのだから、スタートから不利であることは認めてあげたい。しかしそのハンデを存分に差し引いても、そしてこの映画レビューが「基本、褒める」という精神に則っているとしても、本作で褒めるべきところはなかった。何もかもが、安易なのである。

たとえば、原作で"ナチュラルボーン殿様"として描かれる日出家の御曹司、淡十郎は、思考も言動も確かに生まれついての殿様である。原作では、そのキャラ設定を最初は面白可笑しく書いているものの、物語が進むにつれ「生まれついての殿様気質ゆえに有り得ないほど純粋で、ウブで、意志が固い」というように彼の性格を現実的に肉付けしていくのだが、映画ではナチュラルボーン振りを殿様言葉だけで表現してしまう。もちろん、原作で淡十郎は一度たりとも「苦しゅうない」なんて言わない。そんな風に安易に片付けてしまったら面白くも何ともないからだ。演者である濱田岳くんは(万城目氏が当て書きしたのではないかと思うほどの)親和性の高いルックスのみならず、淡十郎の複雑で繊細なキャラクターを表現することができるだろうに、こんな分かり易いキャラクターをいつもより半オクターブ高い子供じみた声で演じさせるなど、まったく安易で失礼な話だと思う。

万城目作品の映像化は、どうもこういう具合なのである。おそらく、どの層をターゲットに作るか製作者たちが明確に意識しておらず、大学のサークルの話だとか、高校生の話だからハイティーン向けにライトに作っておけば(ついでにモモクロを主題歌にしておけば)いいと考えている節がある。

| 映画レビュー | 23:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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