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Calmato Aomori 2015: Prayers

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弘前市内の教会をめぐる



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私は過去に洗礼を受けたことがあるので自分の心持ち次第ではキリスト教徒とも言えるのですが、米国で毎週日曜日に教会に行っていたときを除いて特に宗教活動をしているわけでもなく、無宗教者と言ってよいと思います。とは云え、信仰の対象とは別にキリスト教自体に昔から興味があり、信仰を持つという行為やその理由にも関心があります。

これは、カトリック弘前教会。竣工は1910年、住宅街のなかに建っており、隣りが幼稚園なので何とものんびりした雰囲気です。こじんまりとしているものの、優美なフォルムの尖塔を持つシンメトリーなデザインに隙がありません。建物のなかには、実に荘厳な祭壇やステンドグラスもあります。日曜日だったので午前中は礼拝が行われていたのでしょう。しかし、訪れたときは誰もいなくてひっそりとしていました。無料で内部を見学することができます。

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キリスト教への興味を呼び覚ましたのは、受験勉強をしていたときに現代文の問題で読んだ遠藤周作の『沈黙』のクライマックスシーンでした。それ以来、遠藤周作のキリスト教文学作品は大抵読んできたし、『沈黙』は折にふれて読み返しています。偏りはあっても純文学を読んできたつもりですが、いまでも最も感銘を受けた小説は『沈黙』だと思っています(余談ですが、来年にスコセッシ監督により映画化されるので期待半分、不安半分でドキドキしています)。よく言われる「同伴者としてのイエス」という考え方が、私にはしっくり来るのです。

カトリック弘前教会の見事な祭壇は8mにも及び、細部まで美しい装飾が施されおり、芸術品といってよいほどでした。「神の存在」は確かに有史における最大のトリックなのかもしれない - しかし、この精緻な美しさは心の底からトリックを信じていなければ創り出せないとも思うのです。

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祭壇の美しさに感心しながら後ろを振り向くと、同じぐらい美しいステンドグラスの数々が鮮やかに光を透過していました。信仰という日本語も、faithという英語も、何と力強く美しい響きを持った言葉なのだろうと思います。

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さて、カトリック弘前教会を後にして次に向かったのは弘前教会。こちらは打って変わって双塔の教会です。設計、施工ともに日本人なので、純国産の教会と言ってよいのでしょう。教会のHPによるとノートルダム大聖堂を参考にしたそうで、なるほどよく似ています。双塔の木造教会は全国的にも珍しいらしく、青森県の県重宝に指定されています。教会の前で写真を撮っていたら、帰りがけの中年男性に声をかけられ、東京から来たと告げると快く「では、ぜひ中も見て行ってください」と言われました。

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というわけで早速お邪魔させてもらったら、何かのボランティア活動のために信者のみなさんが集まっておられました。見学したい旨を伝えると和やかに出迎えてくれましたが、活動が忙しいのか、どうぞご自由にというスタンス。礼拝堂内は静謐な空間でしたが、各席に置かれた資料?の雑然とした置かれ方が先ほどまで日曜の礼拝で使っていたこと伝えています。ここでも、宗教は現実の生活のなかで生きています。

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RX1(妻撮影)

司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。
こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。

遠藤周作 『沈黙』、新潮文庫、p.219

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