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MATHEMATICAL GOODBYE

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異色のテーマ

定義は、自らして意味のあるものとなるのだ。内も外も、上も下も、すべてを、自ら定義することだ。定義できるものが、すなわち存在するものである。

森博嗣 『笑わない数学者』 - Kindle版 位置No.820


本作の最後の一文を読んだとき、私は結構久し振りに読書で卒倒しそうになった。小説や映画にはラストシーンのためだけに読む/観るような作品があるが、本作もそうであった。三ツ星館という奇妙な館の前に立つ巨大なオリオン像が消えたり戻ったりするマジック、この館で起きる密室殺人など、犀川先生と天王寺博士の最後の会話から続くラストシーンのための長い長い背景にすぎなかったとさえ思う。密室殺人や2時間サスペンス的な人間関係と殺人動機は相変わらずだが、S&Mシリーズ第3作目の肝は「自ら定義する」ということだ。こんなテーマを据えた推理小説など、少なくとも私は前代未聞だ。

右の定義は上下の場合に比べて難しいというのは三浦しをん氏の小説『舟を編む』でも使われていたエピソードだが、自分で定義するという行為は存外難しい。辞書編纂者でなくても、私たちは日常生活で何気なく定義しているが(話が長い、小難しいと言われる人 - 私も当てはまるが - は、無意識になるべく正確に定義しようと思いながら話すからだ)、森氏はこれを自発的に行うべきなのだと説く。目の前に見えているだけでは存在していることにはならず、自ら定義を与えてやることで初めて対象は存在し得るのだと。これを突き詰めていくと、犀川先生のように目の前の老人に対して執拗に定義せざるを得なくなる。目の前に確かに存在しているのに、定義ができないから存在を確定できなくなるからだ。それを「解は、今や不定」だと切り捨てながら、その後に犀川先生に「いや、そう定義した。定義したかったのだ。」と結論づけさせるところが、他の小説家とは違う森氏の少々ひねくれた深い愛情を感じる。

そういうわけで個人的には、最終章で犀川先生が大学に戻り、弓道場まで散歩し、萌絵の出した問題を解くまでのシーンの雰囲気が何とも言えず好きだった。森氏は、情緒あるエピローグを書く天才だと思う(第1作目も、一番好きなのは犀川先生と四季博士が図書館で会うくだりだ)。

| フェス | 23:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

> invisibleAさん

こちらこそ返信が大分遅くなり失礼しました。
いまは3作目は読了し、壷の中の鍵の話を読み進めています。
冊数を重ねてきたおかげか、森氏の文章にも慣れてきました。

しかし、3作目辺りからチョイチョイ挟んでくる恋愛モードは少々辟易。
いまのコンプライアンス意識からすると有り得ない行動の数々も時折どうしようもなく気になります。
たった20年前なのに、そして自分もリアルタイムで生きていたのに
知らないうちに空気や意識が変わっている。不思議なものです。

| pltr0 | 2016/03/06 23:21 | URL | ≫ EDIT

コメントが遅くなってしまいました。
さすがにpltr0さんは読み方が違うというか、一冊の本の中で<ひっかかりを覚えるところ>が私とは違って深いので、レビューも大変興味深いです。
森氏の小説は長いですが、いつもエピローグが見事ですよね。

| invisibleA | 2016/02/20 13:34 | URL | ≫ EDIT















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