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JACK THE POETICAL PRIVATE

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動機の論理付け

しかし、発散しそうになる数式を押さえ込むという意志には、確かに、「黙らせる」という動詞に類似した印象がある。少しでも気を抜くと、どこかを見落として、醜い無秩序な暴走を許すことになるからだ。

森博嗣 『詩的私的ジャック』 -Kindle版 位置No. 4652


これまでの3作では事件のトリックを緻密な論理で作り上げ、動機はオマケ程度の扱いであったが、本作はまるで真逆であった。その動機も引っ張りに引っ張って最後にあの独白かと怒りを覚えなくもなかったが、動機以外はすべてやっつけ仕事で創作したのではないかとさえ思う("衣装交換ごっこ"を持ち出された日には天を仰ぎたくなった)。物語は特に起伏もなく単調に進み、それを補填するかのように犀川先生と萌絵嬢の恋バナをチョイチョイ積極的に差し込んでくるようになったので厄介である。

さて、その動機を端的に表しているのが上記の引用部分だと思う。「暴走」を許せるように(あるいは見て見ぬ振りができるように)なると、社会的には大人と認識されるのかもしれない。世界は秩序立っていてシンプルな原則で捉えることができる美しいものであると信じてみたり、自分の中にある、あるいは(自分とは無関係に押し付けられた)環境の中にある醜い無秩序をどうしても許せない気持ちは、若かりし頃なら誰にでもあったはずだ。1つ躓いてもそこから再出発できるという思考がなく、それならばいっそすべて無かったことにしてしまおうとするAll or Nothingの意志が。無論、そんな0か100しかない狭い選択肢で生きていれば実社会で損をするのは自分だということに気付いて、50に近づけていく手段を身につけていくわけだが、それがなかなか上手く出来ない人たちもいる。森氏の着想の鋭さは、この"なかなか上手く出来ない人"を犯人に据えながらも、ただの成長しないイタい大人のように扱わず、きちんと何故そういう動機を持つに至ったのかについて論理を用意していることだ(同時に、萌絵には捏造や偽善だと断罪させているが)。私の読み方では、S&Mシリーズ第4作目は動機がメインテーマであり、その動機に対し論理を用意している。怨恨や人間関係といった"当事者たちの事情"だけを持ち出すのではなく、動機を論理付けしようとする推理小説なんて他にあっただろうか?

論理を作るということは、理解しようと思えば出来る道筋が用意されているということだ。だから、犀川先生と同じように「確かに、一部には、その意志がある。それはおそらく、自分の中心を構成する人格だ」と感じる人だっているはずだし、斯く言う私もいまだに「強くなろうとする精神は、実に汚れている」と考えてしまう節があるような気がする。こればかりは、年齢や社会経験を重ねればどうにかなるというものではないのかもしれない。

ここまで書くと読み始めた時点で誰が犯人か目星がついてしまうと思うが、もうひとつ大きなオチが用意されているから、致命的なネタバレにはならないだろう。ちなみに、そのもうひとつのオチは、どうしようもなく陳腐である。

| フェス | 11:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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