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交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1



12年ぶりに3部作としてリブートされた、『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』を観てきました。
公式HPは → → → コチラ



ファン以外は観る必要なし

アニメ版や物語の詳細については割愛するとして、"世界を救った英雄"を父に持つレントン・サーストンという男の子が、エウレカという名の少女(情報についてはネタバレになるので特に秘す)に出会い、恋に落ち、ふたりで共に成長していくという話である。2005年放送開始された当時は、彼らが操縦するロボットが似ていること、特殊な世界観・独自の専門用語・散りばめられた謎の多さからエヴァンゲリオンの模倣作品と揶揄された一方で、各話のタイトルやキャラクターの名前などに知っている人には刺さるサブカルチャー要素が満載であったこと、アシッドハウスなどコアすぎる音楽を使っていたことなどから熱狂的なファンも多い。私もリアルタイムで観ていたファンの端くれである。先にも書いた通り、これまで観てきたアニメのなかで最も好きな作品と言ってもよい。

さて、12年後のリブートは嬉しいサプライズではあったが、蓋を開けてみたら甚だ残念であった。少なくともハイエボリューション1の時点で特筆に値するのは以下の点のみである:

(1) アニメ版で多くの曲が起用されていたHARDFLOOR(ドイツの2組ユニット)が、今回の映画版のために『Acperience7』という新曲を書き下ろしたという奇跡(コチラ
(2) 冒頭にサマー・オブ・ラブが起きたときの新作シーンがあること(註:サマー・オブ・ラブとは、エヴァでいうところのセカンド・インパクトのようなもの。人類を滅亡させるほどの超常現象で、アニメ版では何度も語られるものの実際の描写は断片的であった)

残念すぎる点は以下の通りである:

(1) すべて描き直しているのかと思っていたが、ほとんどアニメ版の使い回しであったこと
(2) レントンが月光号を降りてチャールズ・レイ夫妻と出会い彼らの元をまた去る−この部分のみが切り取られて描かれていること
(3) 音楽をキー・ファクターとしている作品なので分からないのでもないが、PLAY BACKとPLAY FORWARDを多用しすぎて時系列を掻き回しすぎていること

特に(2)、(3)が深刻で、レントンとエウレカとのファースト・コンタクトは描かれていないし、レントンが月光号から家出するまでの経緯も説明皆無である。ヴォダラクの少女の命を助けるためにレントンが空回りするエピソードが採用されているが、ヴォダラクとは何かの説明はない(本作の中核を成す概念のひとつなのだが)。これに加えてしょっちゅう巻き戻し/先送りして時系列をぐちゃぐちゃにするものだから、初見の人は全く意味不明だと思う。あるいは、「ただのガンダム(@ランバ・ラル&ハモン夫妻とのエピソード)のパクリ」と思われてしまっても仕方があるまい。アニメ版ではきちんと描かれていたレントンが家出せざるを得なくなった精神状態、チャールズとレイの哀しい結末を知っているからこそ、あの束の間の幸せな時間やヴォダラクの少女を助けようと空回りするエピソードが活きてくるというのに、それをカットしてしまうとは.....。製作者は観客ターゲットをどこに絞っているのだろうと首を傾げざるを得ない。

などと、ファンというものは極私的な視点でブツブツと文句を言ってしまうのが常である。エウレカの存在を知らない/アニメ版未見の方は3部作が揃うまで(少なくとも2作目は来年公開予定)スキップしてもいいのではないかと思う。この作品だけ観ても意味はないと断言できるし、本作の印象でエウレカを評価されてしまうとファンとしては悲しいかぎりである。逆に、映画版未見のファンの方には、サマー・オブ・ラブを大スクリーンで観られるという一点のみで観に行くべきであると進言しておこう。ちなみに、これだけ既視感ありまくりの1作目にも関わらず、エンドロールの最後に出てきた次回予告では「???」となるシーンばかりであった。あの萌々キャラは一体?蝶々のような羽根の生えたエウレカ?実に楽しみである。

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