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プリンセス・トヨトミ



万城目学氏の小説の映画版、『プリンセス・トヨトミ』を観てきました。
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揺れる評価

鑑賞中に自分のなかで評価がこれほど二転三転した映画は久しぶりだと思う。ちなみに、私は万城目氏のファンで、この映画の原作となっている小説を文庫本で読了している。この話のあらすじを簡単に書くなら:大阪にある奇妙な法人団体の会計監査に行った男女3人の職員が、その胡散臭さに徐々に気付き調査をしてゆく途中で事件が起きる、というものだ。その事件を発端として、大阪が全停止する。

もちろん、この映画にも原作との相違点は多々あった。要所要所は原作に忠実だが、それ以外はほとんど設定を変えていると言ってもいいぐらいである。そのなかで、私が大きいと感じた違いは2つ。ひとつめは、主要登場人物であるゲーンズブールと鳥居の男女を逆転させたこと(この二人は会計監査院の若手で、堤真一氏演じる松平の部下。原作ではゲーンズブールは女性、鳥居は男性である)。ふたつめは、「大阪全停止がなぜ起きたのか?」という問いに対する謎解きのような展開にしてしまったこと。2つの変更点のうち、個人的には前者より後者の方が問題であると思う。

私なりに表現するなら、『プリンセス・トヨトミ』は、云ってみれば「人情戦国小説」である。確かに「大阪全停止」という珍妙な発想が目を引くが、whyやhowは興味の対象となっておらず(もちろん、ある程度の現実味を持たせるための説明はきちんとされている)、単なるディテールのひとつに過ぎない。むしろ、物語全体から伝わってくるのは、現代版・戦国絵巻だ。東からやってきた厄介な知将、それを向かい討ち御家を護ろうと尽力する家臣たち、自分の家に託されてきた使命に気付いてゆく嫡男。逆に、ゲーンズブールと"豊臣の王女"以外は、女性はほとんど表舞台に出て来ない。まるで「女の出る幕ではない」と排除されているかのように。しかし最後まで読むと、万城目氏はきちんと用意しているのである。どんな女性解放論者でも納得してしまうような、答えを。その答えのために、旭・ゲーンズブールは完璧な容姿と頭脳を持った長身の女性でなければならないし、真田の嫡男が抱える性同一性障害について説明するためだけに冒頭から一章分を割く理由が、ハッと判って、その人情にホロリとさせられる。此処に万城目小説の真骨頂有り、と膝を打つ。

翻って、映画版。私は冒頭から感じられる"テレビ映画的匂い"に少々辟易しつつも、綾瀬さんが人の消えた大阪の街を走っているシーンから始まったものだから「それを初っ端から見せるかよ」と早々に突っ込み、「第一日目」の字幕が出たところで、これからどう展開していくのか判りがっかりした。島くんを出さないのに豊臣研究者を出すからがっかりして、茶子がヤクザの蜂須賀組事務所を襲撃しないからがっかりして、松平の父親が飲んだくれのダメ親父であるという設定にがっかりした。

何も失望だけではない。真田ではなく松平が撃たれる設定変更に違和感(東軍の大将が負傷してどうする)。大阪の男たちが全停止に向けて立ち上がる際の描写に違和感(あれでは、大阪の男たちが無秩序、無計画に立ち上がっているようではないか)。全停止を企てた張本人が主張した動機にも違和感(あの手の選民意識を動機にするというのも、そろそろ如何なものか)。赤絨毯の廊下の先に親子で行って何をするのかについて一切説明を省いたことに違和感(まさか父子が話をするためだけに歩くわけでもなかろう)。いま振り返っても、「そうじゃないだろう」と思うところは多々ある。特に、赤絨毯の先で行われること(そして、このことのためだけに毎年億単位の予算が計上されている)は省かずにいてほしかった。それは、万城目氏なりの「大阪観」を最も色濃く反映している設定のひとつであると思うからだ。

そんなわけで、私はしばらくの間、退屈な映画だと思いながら観ていた。いかにもフジテレビらしい(不要な)笑い所の入れ方だとか、また鈴木監督的唐突ド・アップ映像だとか、果てには「茶子を演じている子は昔の内田有紀ちゃんに似ている」などと思いながら。それがどうしてだろう、「対談」の辺りから、じんわりとこの映画の核のようなものが感じられた。映画版なりにメッセージを伝えようとしている真摯さが、中井貴一氏の説得力のある演技と相まって胸に迫ってきた。そうなってしまうと、仕方がない。松平が赤絨毯の廊下を歩くシーン(これは原作にはない)で一瞬だけ松平と父親を一緒に歩かせたり、「富士山に巨大十字架」のシーンを挟んだり、冒頭に出てくる武将が誰だったのか最後にさりげなく判るようにしたり、何て安っぽく安易な発想...と思うけれど、判りやすくベタな人情に乗ってしまいたくなる。さすが、テレビドラマを知り尽くしたスタッフだと思う。これらはどれも映像でしかできない、映像だから映えるシーンだ。

よく「映画と小説、どちらが先の方がよいか?」という質問を目にするが、この作品に関しては、私なら「まずは映画を観て、その後に小説を読むのが良い」と答える。万城目氏は構想を練る天才ではあるが、やや描写力(特に風景や建築物などの文章スケッチ)が単調になりがちだと感じる。細かく描写してくれるのだが、論文のように硬質で、あまり豊かなイメージを喚起しない。たとえば、地下にある"本当の大阪城"は、文章を読むより映像を一目見る方が手っ取り早い。先に映像を観てある程度のイメージ情報を頭に入れてから、よりディテールに富む緻密で大胆な万城目ワールドを読めば愉しさは倍増するはずだ。そういう意味でも、小説と映画は互いに補完し合っていると思う。もし映画しかご覧にならないのであれば、テレビ放映されるまで待つのが良いだろう。この映画だけで万城目氏の描き出す世界を評価されてしまうのは、やはりファンとして悲しいからだ。

| 映画レビュー | 23:55 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

> invisibleAさん

こんばんは。

拙レビューはただの戯れ言なので、もっと気軽に読み飛ばしてくださいませ(汗)。
いつも好き勝手な感想ばかり書いていて申し訳ありません、ぐらいの姿勢なので。

特に本作はエンタメ性より人間ドラマを強く押し出しているので
その辺りの匙加減は難しかったのではないかと思います。
ただご指摘の通り、どっちにしたいの?という中途半端な感じはあったので
「映画を観に行く」というスタンスで行くと物足りなさはあるかなぁとも思います。
私は割とこういう(ハリウッド大作には無い)ユルーい適当さは邦画のいいところのひとつだ
なんて思ったりもするのですけれどね。

ただ、鳥居の人物造形は、演じる綾瀬はるか嬢にとっても可哀想な気がしました。
綾瀬さんは未だに「天然」「大食い」みたいなイメージがありますからね。
ドラマ版『白夜行』のように、目の覚めるような悪を持つ人物もできるのに...。



| pltr0 | 2011/06/21 22:29 | URL | ≫ EDIT

反応が遅くなってしまいました。
pltr0さんのレビューを読んで、すぐコメントしようと
思いましたが、「うーん、その通りだ」としか
言葉が浮かばず(苦笑)数日悶悶としておりました。

結局、万城目氏のファンタジーというか法螺話は、
アイデアの飛躍や舞台装置といった器が大きいので、
映像製作者たちも、なんだか壮大な映画に出来るような
気がしたのかも知れません。
ただ、器は壮大でも中身は実にまっとうな、
地に足のついた人間ドラマだったりするんですよね。

映画は、壮大な歴史の裏側ミステリにしたいのか、
父と子の物語にしたいのか、なんというか中途半端で、
かつ余りにテレビ臭が強すぎたために、
滅多に映画館に足を運ばない僕としては、
残念な思いが強かったです。

| invisibleA | 2011/06/19 21:24 | URL | ≫ EDIT















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